澤西章展

SAWANISHI Akira

2019.7.1(mon) - 7.6(sat) ギャラリーなつか

「イシムチェ」
油彩、キャンバス
1000×803mm
2018

「ハライ」
油彩、キャンバス
1000×803mm
2017

『無辺の光を呼び覚ます』
絵画は世界を構築するためにあるのではない。存在の裂開を確認するための覗きからくりである。そこに無辺の光が…。

『ペンローズのねじれた四次元』(竹内薫・著)によると、「…アインシュタインの特殊相対性理論では、時空が元からあるというよりは、世界の根源に「光」があると考えて、その光の速度を一定にするための概念上の道具として、時空というものが生じた…だから、光速を不変にして、時間が遅れたり空間が縮んだりする…時空よりも光の方が基本…」。

展覧会タイトルの『疾走無辺光』…もともとの引用源である観音経の語句では、「疾走無辺方」である。「いずくにか、無辺の彼方に走り去る」という大意。
…[妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五]からの一節より
若悪獣囲遶 利牙爪可怖
念彼観音力 疾走無辺方
(対訳)
「もし悪獣に取り囲まれ、鋭い牙や爪に恐怖を感じても、
彼の観音の力を念じれば、たちどころに、いずくにか無辺の彼方に…走り逃げ去る」
…しかし悪獣は私の内にある。私の内なる悪獣は逃げ去ることがない、そこから逃げることはできない。そして私自身が悪獣となっていつまでも走り続ける。

恣意的に、「無辺方」を「無辺光」という言葉に極私的変換してみた。
=無限の彼方に逃げ去る…のではなく、無辺の光を求めて、あるいは光の中を、今も私は走り続ける…。
「無辺光」とは、一切の世界をあまねく照らす光明。仏教用語としては、全世界をあまねく照らす阿弥陀仏の光。

…私はもちろん、理論物理学の理念や仏教の教えに基づいて絵を描いてるわけではない。が、何故かこれらの語句に惹かれるのは、自分の内なる光と、内なる悪獣とを常に同時に感じざるを得ないためか。私自身の絵画にそれを見てしまうからか?

現実の時空間の中の、あるいはその延長における絵画…ではなく、現実時空間から解き放たれた光の内なる絵画を想像してみる。現実の時空間を揺るがす、矛盾に満ちた…空間を、現実時空世界の裂け目を。
私と私の絵画は、伸び縮みする時空の中を走り続けている。無辺の彼方まで、無辺の光にたどり着くまで。