龍田龍也展

TATSUTA Tatsuya

2017.10.23(mon) - 10.28(sat) ギャラリーなつか

「会場風景」

「星の化石」
石、金属

“空刻空彩” A castle of debris

少し大きめの虫めがねとはフレネルレンズで光を集めそのエネルギーを利用できるように設計された道具のことです。私には、太陽の輝きは無限、遍在という概念を呼び覚まし、空恐ろしくも魅了されるものです。
子供の頃虫めがねで葉脈を観察したり、蟻んこを追った。早世した父の目を逃れ光を集め紙を焦がすことに喜びさえ感じた。その小さな道具を通し様々な現象に夢中だった。70歳の子供は少し大きめの虫めがねに取り換え遊んでいる。わずかな年金目当てで7年前に手に入れたその道具を大切にしながら今も私の創作に重宝している。
私事であるが、63歳の夏退職し、翌年の3月11日に最初で最後の確定申告に出向いた。福井市役所の別館の4階だったと思うが、そこで職員に助けられパソコンに必要事項を打ち込んでいた時だ、ゆったりした横揺れを感じた。地震はガタガタ、グラグラという感覚を抱いていたが、こんなにゆったりとした揺れを体験したのは初めてだ。(ちなみに私が1歳の時に起きた福井大地震の記憶はないが、その時の顛末は母から聞いていた。それは活断層型直下地震である)。職員と申告者を含め、その場には20人くらいいたであろうか、近くの人どうし「地震だね、地震だ」と口々に確認するように見つめ合っていた。身の危険を感じる程の緊迫感はなく、逃げ出すものは一人もいなかった。私は平静を装っていたが、内心穏やかではなかった。その後何事もなく申告を終え、年老いた母を連れ帰途についた。
私には地球及び日本列島のおおまかな成り立ちとその構造は、美しく配色され印刷された図版のあるページのイメージでしかなかった。2011年3月11日の東日本大震災はそのイメージを打ち砕いた。少し大きめの虫めがねの購入と、計らずもその大きな出来事とは期を一にし、日本列島を揺する大きなエネルギーの実感とその道具は切り離すことができないものとなった。
地球も呼吸をしているのだ。たまには寝返りを打つのだ。窓から入り込んできた涼風が書きかけの頁を波打たせる。クモが枝から枝へと糸を張っているのが目に入る。光がその糸を時に銀色に際立たせる。トカゲが昨夜降った雨の水滴を求め、草むらをうろちょろしている。相変わらずセミの合唱が鳴りやまない。夏休みの宿題にうんざりした子供は虫めがねを持って庭に飛び出した。崩れゆく身を気遣いながら70歳の子供は夢現、彼のあとを追った。

会場風景