戸島華織展

TOJIMA Kaori

2021.11.1(mon) - 11.6(sat) ギャラリーなつか

「Psyche」
テラコッタ
16.5×10.5×8.0cm
2021

「HIMIKO」
ボールペン、カラーペン、鉛筆など
38×54cm
2020

母の子宮の中で私は一体、何を感じていたのだろう?
父が恐る恐る母の下腹に触れてみると、私がピクッと動いたという。
その感触から受けた衝撃とも呼べるインスピレーションの表現を、木象嵌の創作活動として生涯を捧げた父。

1966年4月14日に私は産声を上げた。
病院から自宅に移され、用意されていた部屋で仰向けに寝かされたが、その部屋の天井には数多くの名画が貼り巡らされていたとのこと。
それが父から受けた初めての愛情であり、プレッシャーでもあった。
私の目が開いた時、この世で初めて見たものを覚えているはずはないが、恐らくはその天井の幾つかの名画であったのだろう。その時、私は何を思ったのか・・?

亡くなる前に父は、母親に対する想い出を句にしたり、愛情を表す走り書き等をしたためていたものであった。それらは人間ならば誰しもが魂の奥底に抱えている普遍的な想いの様に感じられた。
私の誕生を通じて父が直観したこととは、父自身の生であり、そして死でもあったのはないか?

昨年の2020年7月28日、父・戸島甲喜は永眠した。
父を看取ってからというもの、私は或る意味で解き放たれた。
既に他界していた画家であった母の芸術に対する価値観は、父とは真逆に近いもので、家庭の中での私の半生は、まるで価値観戦争が繰り広げられていた様なものであった。

親を失った喪失感は、とてつもなく大きなものであった。
しかしこの1年で、それを克服しながら創作してきた作品群には、以前には無かった何かが含まれるようになってきている。また、様々なものが切り捨てられていった。
自分の内側から純粋に湧き出てくる表現だけを創作できるようになってきたと感じている。

それだけ親から受けてきたプレッシャーは強く深いものであったのだろう。
それは愛情でもあったのだから・・

今でも仕事場は整然としており、相変わらず緊迫した空気が漂ってる。
異常なまでの緊張感の漂う神聖とも呼べる、この空間・・
父はルーティンを好み、制作中には蝋燭を立て、その灯火が消えた時を休む合図としていたものであった。
現在は私がマイペースに創作活動を行なっている。

時代やジャンルは違えど、表現者としての精神だけは命ある限り受け継いでいきたい。
愛と祈りに似た願いを深めながら・・

2021年/秋
彫刻家・戸島華織 ―仕事場にてー

開催記録