伊原乙彰展
IHARA Otoaki
2025.6.2(mon) - 6.7(sat) ギャラリーなつか
私も90半ば近くになった。あまり深く考えなかった霊魂のことがここ4、5年身近に深く感じられるようになった。今の私は霊魂の存在と輪廻して完成していくことを人生の生き方、仕事の拠りどころとして絵を描き続けている。
私は今、線描によるドローイングを続けている。人の一生は一本の線で表せるのではないだろうか。その線は太かったり細かったり、右にゆれたり左にゆれたり、長かったり短かかったり、人様々の線をひきながら一生を過ごす。初めは直線的な形をとると考えていたが、描き続けているうちに円を描いているのではないかと気付いた。円は通常平面の上に丸く描かれる。一生の線も一回転して生まれたところに戻ってくる。その円形の線は横から見ると生れた時より一段上のところで次の円に引き継がれ、何回も繰り返し積み重ねられてやがてスプリングの形が出来上がる。上から見ると円の集合体だが横から見ると輪廻した人生の数だけの段が積み上げられた立体となる。
霊魂は無から出発し、過去の人たちの生き様が積み重ねられ現在を通して未来へと上積みされ、やがて密度の高い豊かな霊魂になっていく。霊魂はデータバンクのようなもので最初データが不十分の間はデータバンクとして作動しないが、何代もの霊魂が輪廻し経験を積み重ねていく中にデータバンクとしての完成度を高め、最後に宿った人の人生と共にその便命を全うする。
人の一生は昔なら50年、今は倍くらいまで伸びてきたが、仮に十代引き継がれて霊魂が完成すると考えると500年1000年はかかる。私の霊魂が今までどれだけのデータを蓄積しているかはわからないが、自分では何となく十代中5、6番目にあるような気がする。まだまだデータ不足、勉強不足である。
この不安定な霊魂を少なくとも受け継いだ時よりより良い状態で次の人にバトンタッチしていくのが私が与えられた課題だ。そのために最後の最後まで仕事を続ける以外に道はない。
90を過ぎてさまざまのことを考える妄想の日が多くなってきた。
人は一人では生きられない。相手がいて、そこに人の気配を感じることで自分の存在が確認できる。相対するものの存在を考え、それを描きとめていくことで仕事が続けられる。
人は直線を生み、自然は曲線を生む。
今の世の中の変動に精神の働きがなかなかついていきにくい現代の生活。その中でいかに自分を見つけられるか、ハムレットではないが「それが問題だ」。